38.伊藤博文旧宅
2006.07.17



1.内日第一貯水池煉瓦橋 2.濱井橋 3.神上寺無明橋 4.磐石橋 5.三見橋 6.万歳橋 7.楓橋
8.平安橋 9.大照院門前橋 10.大照院墓所前橋 11.南明寺参道橋 12.金谷天満宮太鼓橋
13.金谷天満宮桁橋 14.金谷天満宮奥の橋 15.旧湯川家石橋 16.桂太郎旧宅石橋
17.東光寺瑞雲橋 18.落合の石橋 19.禅昌寺石橋 20.禅昌寺桁橋 21.出の口橋
22.山の口太鼓橋 23.防府天満宮太鼓橋 24.枡築らんかん橋(塩田公園)
25.らんかん橋 26.長浜らんかん橋 27.住吉神社参道橋

28.関門大橋 29.内日第一貯水池 30.神上寺 31.大寧寺 32.萩城跡
33.旧福原家書院 34.萩の町並み 35.毛利家墓所 36.金谷天満宮
37.藍場川 39.東光寺 40.禅昌寺 41.鹿背隧道




萩市大字椿東字新道

国指定史跡




「伊藤博文は周防国熊毛郡束荷村(現在の大和町)の百姓、林十蔵の長男として生れたが、安政元年(1854)14才の時父が家族をつれて萩藩の中間伊藤直右衛門の養子となりこの家に住むことになった。
 博文が17才の時に近くの松下村塾に通って吉田松陰の教えをうけた。のち尊攘運動の志士として各地において活躍し、明治元年28才で新政府に出仕するまで14年間ここを生活の本拠とした。
 博文は参議を経たのち初代の内閣総理大臣、枢密院議長韓国統監となった。
 内閣を組織すること四次、明治の元勲といわれ政府の最高指導者となったが明治42年69才でハルピン駅頭で凶弾に倒れた。旧宅は茅葺き平屋建(7室、建築面積89.52u)で風呂場と便所とが屋外にある農村にあった典型的な下級武士の住宅である。」

萩市教育委員会
39.東光寺へ